理系に所属してかれこれ6年が経ちました。pigです。私は、もともと読書が嫌いで国語も嫌いだったので理系に進んだのですが、最近になってその考えで理系に進むのは間違っていると感じるようになりました(今の研究はもちろん楽しいと感じていますが)。というのも、このブログで再三言っているように文系、理系のどちらに進んでもその基礎的な力が必要となると感じたためです。
そこで、私はこのコロナ自粛期間中に読書を始めたのですが、思いのほか学びが多く読書の魅力に気づかされたので、今回は「一神教、多神教」の観点から読書の重要性を説いていきたいと思います。短い文章ですので読んでいただけると幸いです。
一神教、多神教の違いはその名の通り崇拝する神が一体なのか、それとも多数いるのかです。しかしたったこれだけの違いなのに、それぞれが歴史に与えた影響は大きく異なります。
というのもこれらの宗教の違いは倫理的な観点が異なるためです。
歴史的にみると多神教国家であった紀元前三世紀のインドでは、様々な宗派が多く存在していましたが、そこに住む人たちは異なる宗派の人たちを尊び、その人たちのが信仰する宗教にも耳を傾けることを説かれていました。
一方で、一神教で代表的なキリスト教を進行する者は他の宗教を信仰することは許されていませんでした。
これは国を支配する王が反逆者を芽生えさせないようにすることを意図しており、その結果植民地化された国は宗教を強制されるようになりました。
これらの歴史にあるように一神教の文化は人々の考えを狭くし、多神教の文化はより寛容にしていることが分かります(文化的側面だけをみれば)。これは現代の宗教問題へとつながっており、多文化への理解が乏しいと自国の文化、宗教が優れていると感じるようになり、グローバルなつながりが途絶えます。
ここまで一神教と多神教の違いが及ぼす結果について歴史的観点から見てきましたが、わたしはこれらが決して過ぎ去った過去の出来事というわけでなく、現代において最も重要な役割を果たしているのではないかと感じます。
インターネットの発展に伴い多様な価値観が存在する現代社会は一神教的な立場でものを考えるようになるとすぐに対立が生じてしまいます。まさに、多神教的な視点でものを考えることが重要となる時代です。
そして、多神教的な視点で物事を見るということは簡単ではありません。なぜなら、人は誰しも幼いころから思春期に至るまでに形成された狭い価値観を持っているからです。
あの人は静かで自発性のない人だから一緒にいても楽しくないとか、気軽に遊べる友人が多い方がいいとかそういった考えはなかなか払触できません。
そういったときに重要となるのは本を読んで知識を深めることです。自分の生活を漠然と送っていると自分の都合のいいように物事を解釈してしまいがちです。そうした生活からは一向に多様な価値観は生まれません。
本を読むことを決意して最初に一神教と多神教について触れることができたのは私にとってベストでした。
今後も本を読んで多様な価値観を身に着け自分の人生を生きやすくしようと思えたからです。皆さんもぜひ本を読んで多様な価値観を身につけていってください。